2003 Queen Charlotte Expedition

2003 Queen Charlotte Expedition
〜黒潮の辿りつく西海岸は人も住まない太古の海そのものだった〜

村田泰裕
今から10年前の夏、カヤックで初めて旅をしたのがカナダからアラスカにかけて流れるユーコン河だった。河旅のゴールは海が広がり、シーカヤックを意識しはじめたのもその頃だ。そして、そのカナダ滞在中にクイーンシャーロットの存在も知ることになる。
1995年、帰国すると、カナダからその存在を知っていたエコマリン東京の門を叩いていた。そこには僕のシーカヤックの師匠となる柴田丈広氏がいたからだ。一緒に働かせていただいた期間には、形や言葉にはならない知識やテクニックを大分学んだように思う。今から考えると、それは、仕事以外でのツーリングやプライベートの時間から得たものの方が圧倒的に多かった。
1997年、沖縄県波照間島から北海道宗谷岬までの日本列島縦断の旅へ出発。漕行距離4,400km、延べ日数223日を費やしたその旅は、自分にとって正に挑戦に値するものだった。そして1998年夏、日本列島縦断遠征終了と同時に伊豆半島松崎に居を移し、『西伊豆コースタルカヤックス』を立ち上げた。
立ち上げから瞬く間に1年、2年と月日は過ぎていったが、次なる遠征であるクイーンシャーロットは、既に日本列島縦断時からそこに標準を合わせていた。そして3年目の2001年夏、いよいよ機が熟し、全装備を担ぎ込みクイーンシャーロット入りをする。しかし、遠征開始40日後、1周どころか3分の1を周った所でリタイアすることになる。完璧な失敗である。その敗因はフレキシブルでない僕の頭が、日本列島縦断をそのままクイーンシャーロット遠征にあてはめてしまったからだ。装備選択ミスも含め、全ての敗因は自分自身そのものだった。
諦めた瞬間は、何かに開放されたかのようにとても楽になったのを覚えている。諦めたことを納得する為に、自分で様々な理由を考え、無理に自身の中に押し込んでいたように思う。しかし、そんな無理のある気持ちはそう長く続くはずがない。帰国すると、あっという間に再びクイーンシャーロットへ戻る事を考えはじめていた。
『知っている』と『出来る』、この似たような言葉の大きな違い、すなわち、『本質』を知り得たのはこの旅で、また、このことを思い知らされもした。どんなに知識を頭に詰め込み、どんなに技術を体に染み込ませても、全く同じ状況は自然界ではあり得ない。そして、その『知識』や『テクニック』等を混ぜ合わせ『判断』するのは、所詮『人間』であるということだ。
帰国後すぐに、自分に欠落している様々な部分を埋めなおし、それを徹底的に変える作業を開始した。自然相手に判断することを『考える』ならば、結局、何をしても人間のやることなすこと全て『所詮』と言っても過言ではあるまい。ならば、『考える』前にカタをつければ良いことになる。かなり強引だが、そうせざるをえない状況だった。その時の自分には、その程度の考えまでしか辿り着けなかったことが、悲しいかな事実である。簡単に言えば、見えないならいっそのこと眼を閉じてしまえの心境である。そんなことを、補ってきたような取り払ってきたような2年間だった。
そして、2003年、再挑戦に至ったわけだ。
この遠征で最もこだわったのが、朝の出発判断である。それは『絶対』無理という第一印象でなければ、少しでも前進するということである。ビーチからの見た目で『これはダメそうだなぁ』とか『豪雨』では、常に前に出ることを選択した。基本的に雨も多く、風の強いこの島では、全てを当たり前と受け入れ、白か黒かの二つに一つの選択で、『快適さ』は一切無視する考えでいた。
出発前、友人や知人に聞かれたことに対し、こう答えたことを思い出す。「予定ではどのくらいで終了すると思う?」その答えに「約2ヶ月かな。」と。ところが実際には、たかだか30日で1周することになる。良い意味での計算違いだったが、この『計算違い』は前述したことからも、なるべくしてなったと言えると思う。
今だから言えることであるが、本来なら2001年の自分で1周出来なかったのがおかしいのである。
『その場で何ができるか?』これが今回の最大の課題だった。そして『型の究極は無形也。』これにつきる遠征であった。
結果、思惑通り、完全に1周をして帰ってくることが出来た。本当に嬉しかった。その一言以外、いまだに何も思いつかない。
出発前になるが、誰かに今回の遠征に対し『思い込みが強すぎるんじゃない?』と言われたことがある。ハタから見るとそうなのかもしれない。が、しかし、実際の話、僕はこれで金を稼ぎ飯を食っている。他には何もしていない。当たり前である。プロなんだから。先を考え、一歩ずつ前へ出る。進むためにはまた考え実践していく。ただ、シーカヤックはそれが見た目にダイレクトなだけである。そして大半の人にはそれが趣味であるのだから、全てにおいて『差』があって当然である。むしろ、そこに『差』が無い方が矛盾している。思い込みが強くないことに時間を費やしている方が、よっぽど全てに対して浪費しているように思えるのは僕だけだろうか?
何も見えない真っ暗闇で、ゴールを探して歩いているかのように。
どんな凡人でも続けていくことが結果につながった見本のようなこの旅で、2003年、心身共にやっと帰ってきた日本の海はとても美しく優しく感じた。そして遠征中、何よりも僕の背中を押し続けてくれたのは、2001年、そして2003年と、出発前に見送ってくれた友人一人一人である。
漕行地図
遠征全記録
遠征全装備
クイーンシャーロット諸島 ハイダ族
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